清涼山は、松島遊園地を取り巻くように立つ山で、別名清龍山、清陵山、脊梁山等と呼ばれていた。 東国與地勝覧にはこの山の景観が美しく、その名を清涼山と名付けたと記録されている点から、清涼山という名称が正式なものと考えられている。また、この山を清涼山と名付けたのは、高麗恭慇王の王師であった懶翁和尙と伝えられている。これ以外にも興味深い由来としては、中国山西省にある著名な五台山に清涼寺があり、この寺院には華厳宗の六台祖師である澄観祖師が滞在し、有名な僧を数多く輩出したという。 ある日、澄観祖師が涅槃に入る際、自らの教えを東の陽が昇る小さな国で花開かせると喝破した。 この時、法統を引き継ごうとする二人の高弟が白馬に乗って澄観祖師が言った陽の昇る東の小国に向かい、長い道のりを経て遂に中国大陸を望む、現在の松島清涼山中腹に至るや一歩も動く事が出来ず立ち止まってしまったと伝えられる。 これにより、興輪寺(かつてのインミョン寺)跡に誰かが二頭の白馬を象徴する馬像を建てたと言われる。このように、清涼山という名称が、中国山西省にあった五台山(清涼山)から伝えられたものとする説もある。